要約
脳卒中後に生じるお箸の使いにくさやボタン留めの難しさは「巧緻動作障害」と呼ばれ、運動麻痺や感覚障害が主な原因です 。手指は脳の非常に広い領域でコントロールされているため、回復には特定の動作の反復トレーニングや、感覚の再教育が重要となります。リハビリでは、元通り動かすことだけでなく、自助具や環境調整といった代替手段を取り入れて「自分でできた」という成功体験を積み重ねることが、脳の神経ネットワークの再構築(脳の可塑性)を促す鍵となります 。
巧緻動作障害とは
脳卒中後、手の麻痺(特に指先の麻痺)により、お箸を使う、字を書く、財布から硬貨を取り出すといった、細かく器用さを必要とされる動作が行いにくくなることがあります。これらの細かい動作のことを、専門的には「巧緻(こうち)動作」と呼び、その障害を「巧緻動作障害」と呼びます。
脳卒中による運動麻痺が大きな原因ですが、そのほかにも感覚障害や、筋肉のこわばり・力の入りにくさ、高次脳機能障害など、さまざまな要因が関係します。
本記事では、この中の主要な原因である「運動麻痺」と「感覚障害」を中心に、それぞれの特徴や評価法を説明しながら、巧緻動作障害に対するリハビリテーションの進め方について考えていきます。
巧緻動作障害の原因について
手指は詳細な動きが必要とされる
理学療法士・作業療法士の教育において広く使用されている運動学の教科書『筋骨格系のキネシオロジー』において、上肢と手の役割は次のように述べられています。
「肩は上肢に大きな可動性をもたらし、手をより遠くまでとどかせ、かつ、物を操作することを可能にする。肘と前腕が相互的に作用することによって、手をさまざまな位置に動かすことができ、総体的に上肢の機能を高めている。手は眼のようにまわりを知覚する重要な感覚器として作用する。」
(出典:Donald A. Neumann著『筋骨格系のキネシオロジー 原著第3版』)
また、以下は脳のどの部位が人体の運動を司っているかを示した、通称「ホムンクルスの小人」と呼ばれる図です。手や口の領域が非常に大きく描かれていることからも、脳がそれだけ繊細な運動を必要とする部位として手指を重要視していることが分かります。
(出典:Wikimedia Commons(Was a bee訳、PD-self))

手指の運動麻痺の回復段階
片麻痺の評価で広く使用されている指標に「ブルンストロームステージ(Br.stage)」があります。その中での手指の運動麻痺は、概ね以下のような段階で評価されます。
ブルンストロームステージ(Br.stage)
stageⅠ: まったく動かすことができない
stageⅡ: 指全体をわずかに曲げられる
stageⅢ: 指全体を曲げられるが、開くことは難しい(共同運動)
stageⅣ: 指全体をわずかに開けられる。横つまみ(親指の腹で側面に挟む)ができるようになる
stageⅤ: 指全体を開けられる。対向つまみ(親指の先と人差し指の先を合わせる)ができるようになる
stageⅥ: 指1本1本を動かすことができる。すべてのつまみ方が可能となる
StageⅠが最も麻痺が重く、段階が上がるにしたがって麻痺が軽度であること(回復が進んできていること)を表します。脳卒中の発症直後はstageⅠ(だらんと力が入らない状態)から始まり、少しずつ力が入るようになるという回復の経過をたどることが多いです。
感覚障害について
身体(手指)の感覚障害は、主に「表在感覚」と「深部感覚」の2種類に分けて考えます。
表在感覚は、皮膚で感じる感覚です。これには触覚(触っている感覚)、痛覚(痛みがわかる感覚)、温度覚(熱い・冷たいがわかる感覚)などがあります。
一方の深部感覚は、今身体がどの位置にあるか、どのように動いているかが、目で見なくてもわかる感覚(位置覚・運動覚)になります。例えば、「目を閉じて両手を90度外側に挙げてください」と言われても、多くの人がだいたい90度くらいに挙げることができるかと思います。これは深部感覚が保たれているからです。
これらの感覚が低下すると、以下のような症状が見られます。
感覚障害の主な症状
- 表在感覚の障害:
指先の触った感覚が低下すると、細かいものを「見ないでつまむ」ことが難しくなります。例えば、服のボタン(特に首元など目で見えないところ)をつまんでボタンホールに適切に入れることが困難になります。また、手探りで財布の中から目的の硬貨を取り出すことも難しくなります。 - 深部感覚の障害:
指の位置や動きの感覚が低下すると、目で見続けていないと手先をコントロールできなくなります。よそ見をした瞬間に箸やスプーンを落としてしまったり、力加減が分からずに紙コップを強く握りすぎて潰してしまったりします。また、ペンを握ったときに指先の位置が定まらず、筆圧が不安定になって文字の形が崩れるといった症状も現れます。
このように、「運動麻痺」と「感覚障害」はどちらも巧緻動作障害の原因となります。また、運動と感覚は脳の中で相互に作用しながら回復していきますので、リハビリテーションにおいてもこれら2つの要素を常に考慮しながら進めていく必要があります。
巧緻動作が必要な生活場面
日常生活の中には、様々な場面で巧緻性を必要とする動作が存在します。これらが阻害されることは、自尊心や生活の満足度に大きな影響を及ぼします。
巧緻動作が必要な生活場面
①食事:
特に箸動作は、高い巧緻性を必要とする代表例です。うまく持てない、持てても箸の開閉ができない等により、食べ物をつかむことが困難となります。
②更衣:
「ボタンの留め外し」や「ファスナー操作」が挙げられます。特に襟元など目で見えない場所は、先述した感覚障害の影響により、さらに行いにくくなります。
③家事:
包丁で食材を薄切りにする、洗濯バサミで薄い布を挟む、調味料の計量スプーンを水平に保つといった場面でも微細なコントロールが必要です。
④スマートフォン/PC操作:
現代社会に欠かせないデジタルデバイスの操作にも影響が及びます。
・スマートフォン:指先の細かなコントロールが効かず、タップやフリック入力での誤操作が増えます。
・PC(キーボード):指を1本1本独立して動かせず、隣のキーを一緒に押してしまうなどのタイピングミスが起こります。
・PC(マウス):画面上の小さなアイコンにカーソルを合わせるピンポイントの動きや、クリックの瞬間に手元がブレるなどの難しさがあります。
手指巧緻障害に対するリハビリ
リハビリテーションの中でも、特に作業療法においては、主に以下の3つのアプローチを組み合わせて戦略を立てていきます。
問題となる原因に対するアプローチ
まずは、原因となる「麻痺」や「感覚障害」に対する直接的なトレーニングです。麻痺の回復には近年、ロボットを用いたトレーニングやバーチャルリアリティー(VR)を用いたアプローチの有効性が示されていますが、大原則として「特定の動作の反復(何度も繰り返すこと)」が重要であるとされています。
具体的には、以下のような練習を段階的に行います。
- 指を一本ずつ動かす練習(分離運動の促進)
- セラパテ(リハビリ用の粘土)を使い、指先の筋力とコントロール力を養う
- 「感覚障害」に対しては、目を閉じて異なる素材(布、スポンジ、木など)を触り分けたり、物の形を当てたりする練習(感覚の再教育)
目的とする動作に対するアプローチ
続いて、その人が日常で必要としている、あるいは「またやりたい」と目標にしている動作そのものを練習していくアプローチです。 手指の使い方は、動作によって全く異なります。
例えば、箸操作では「小指と薬指を固定し、親指・人差し指・中指を連動させて開閉する」動きが必要ですが、PCのタイピングでは「指全体をドーム型に保ちながら、一本一本を別々に動かす」動きが必要です。対象者の方から十分にお話を伺い、必要とされる具体的な生活動作に合わせた個別のメニューを組み立てます。
代替手段の検討
「元通りに動かす」ことだけがリハビリではありません。現在の機能を最大限に活かす工夫も重要です。
- 道具の工夫:
太い持ち手の箸、ボタンエイド、マグネット式のボタンなどの自助具を用いる。 - 環境の工夫:
お皿や物品の下にシリコン製の滑り止めシートを敷いて器が動かないようにする、テーブルとお皿の色のコントラストをはっきりさせて目で見えやすくする、よく使う物品をあらかじめ手の届きやすい範囲にまとめておく、など。
道具や環境を工夫することで、セラピストや家族に頼らず、自分一人で何度もその動作を行えるようになります。この「自分でできる」環境は、リハビリの時間以外での自発的な手の使用(生活の中での実用)につながります。
そして、その積み重ねが、脳の神経ネットワークの再構築(脳の可塑性)につながる可能性があります。また、早期に「自分でできた!」という成功体験を積むことは、モチベーションの維持といった心理面にも良い影響を与えます。
おわりに
手指の巧緻動作障害は、非常に繊細な動きが求められるうえ、動作ごとに必要とされる手指の使い方も異なるため、回復に時間を要することが少なくありません。
まずは専門家とともに、ご自身の「使いにくさ」の背景に、運動麻痺や感覚障害、あるいはその他の要因がどのように関係しているのかを整理してみてください。そして、その原因に対するアプローチと、目的とする動作の練習を根気強く積み重ねていくことが大切です。
同時に、道具や環境の工夫を取り入れながら、目的とする動作について「今の状態でも、自分でできる方法はないか?」を考えていく視点も重要です。
たとえ病前とは異なる方法や道具を使ったとしても、「自分がしたい動作を自分でできる」という経験は、大きな自信につながります。そして、その前向きな積み重ねが、結果として全体の回復を支える力になっていくのです。
参考文献
- 日本脳卒中学会:脳卒中治療ガイドライン 2021(改定2025)
- Donald A. Neumann(著), 嶋田 智明, 柴田 篤(監訳):『筋骨格系のキネシオロジー 原著第3版』, 医歯薬出版, 2018.
- Rand D. Proprioception deficits in chronic stroke—Upper extremity function and daily living. PLOS ONE. 2018;13(3):e0195043.
- French B, Thomas LH, Coupe J, McMahon NE, Connell L, Harrison J, et al. Repetitive task training for improving functional ability after stroke. Cochrane Database Syst Rev. 2016;11(11):Cd006073.
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お箸がうまく使えない、ボタンが留められないといった「巧緻動作障害」は、ご本人のもどかしさやご家族の負担に直結しやすい繊細な問題です。しかし、適切なリハビリや、生活に合わせた道具(自助具)の選定によって、「自分でできる」をもう一度増やすことは十分に可能です。
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